【第23回】【生存戦略】ゆるやかな拷問

生存戦略

最近思うのが、私はとても生きづらい性格をしている可能性が高い、ということだ。

性格的部分

私は自称してしまうが、比較的繊細で気にしがちな性格を持っていると思う。小さな事を気にしてしまい、反芻思考に陥り、精神面に悪影響を及ぼす。その主たる原因は大抵労働からもたらされる。

自分の性格的特性を把握したうえで、うまく自分と付き合う必要があると思う。

所詮労働なのだ、と頭ではわかっていても、切り替えができない。

そして、労働時間外に労働のことを考え、反芻思考に陥る。

自ら不幸になりに行っている気がする。

どういった時に反芻思考が発生するか

確率的に高いのが、他人と自分を比較したときに反芻思考に陥りやすい。

他者と自分を比較することは精神衛生上よろしくない。

分かってはいるがここから抜け出すのは難しい。

今やSNS、インターネットの発達により、成功者を間近に見る機会は増えたからだ。

次に数字を追いかけ、気にしているときに反芻思考になりやすい。

これは例えば会社で目標数値が設定されており、それが達成できていなければ、自分自身がそれを見て落ち込むということだ。

学生の時は、平均よりできている、できていないという指標は気にしたことがなかった。

科目もそれぞれ得意不得意がある。私は特に英語が苦痛だった。

だが、社会人になれば、目標数値から開きがあると他の目標値をクリアしている人よりできていない、という烙印を押される。

正直それは、他者評価(会社という法人格による評価)であるため、無視しておけばよいのだが、私の性格上無視はできず、抱え込んでしまい反芻思考に陥る。

非常に生きづらい性格をしているとつくづく感じる。

変わらねばらならない

他者との比較、数字を追い求めること、およそこの2点が私が反芻思考に陥りやすい原因だと思われる。

その根底にあるものは何か考えた時、変えられない部分を無理に変えていく努力をしても、結果が伴わない、という無力感と一種の取り残された感覚なのだと思う。

特に組織に属している以上は、自分は出来損ないなのに、その組織に属していてよいのか、という葛藤。

その反面組織に属している理由は、人生目標であるアーリーリタイヤに向けて資産形成する上では欠かせない収入源だからという側面も持っている。

私は学生時代、英語という科目が苦痛だった。

今社会人となり、仕事をしているが、現職はまさに英語という科目に向き合っている気持ちと近しい。

英語が得意、好きな方には大変申し訳ないが、私にとって英語という科目は好きでもないことで、嫌なことだった。

今まさに仕事も好きでもないことで嫌な事だ。

そう考えるとあくまでも英語という超苦手科目でゲームをプレイし、他の人と自分を比較している可能性が浮上した。

つまり、苦手な仕事というゲームソフトをプレイし、そのゲームの中で他者と比較している可能性があるということだ。

点と点がつながった気がする。

妙なモヤモヤした感覚が消えていった。

私はまた自分の作り出した幻に苦しめられていたのかもしれない。

ここまで書いてきた気づきとしては、私は自分に優しくならないといけない、ということだ。

毎日を100%で生きているつもりなので、人それぞれの100%でいいのだと自分に言い聞かせておきたい。

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