極端なやり方が、時に私自身の覚悟を生み出す可能性がある。
逃げ道を断ち、フォーカスすべき課題と向き合う。
怪しげな書き出し
なんか アツイっぽい
書き出しから激熱自己啓発展開である。
逃げ道がない
闘うしかないという状況を作り出し、ストレス、負荷を自分にかける。
「やる」と決め、もうそこから逃げ出せない状況になったことはあるだろうか。
私は、過去を振り返っても、高校受験時の受験勉強がそれに該当すると思う。逆に言えばそれ以外の事柄は、逃げ道はいくらでもあったし、なんなら逃げをうまく活用して精神の安定を図っていた時もある。
高校受験時は避けようのない受験という儀式を通過しなくてはならない。
そのためにはある程度うまく儀式を乗り越えられる術を身に着ける必要があった。
当時好きでもなかった勉強をし、塾にも通っていた。
いつからだろうか、その「勉強=作業」へ慣れが生じた。
好きではないが、作業的にやる分にはやるしかない、といったマインドになっていた。
社会人になって逃げ道を無くしてみた
社会人となり、6年経過する。
今回、そこそこ逃げ道がないような事態となっている。
昇進(?)がかかっている。
手を挙げて積極的に昇進(?)にチャレンジする者はいないかと会社から聞かれた。
私は悩んだ末にやるという決断に達した。
そもそも、現在の仕事は対顧客ストレスがあり、自分としても仕事に対してポジティブな感情を持ったことはなかった。
ではなぜ手を挙げたのか自分の行動を分析したい。
おそらくだが、後悔したくないという思いからくる行動だと思う。
あとは、利己的な考えだが、自分にどれだけ負荷をかけることができるか、自分がどこまでできるのか、を客観的に見るいい機会だと思ったからだ。
いい実験の機会だし、行動の試行回数を増やすことにもつながる、というプラスのマインドである。
また、やると決めてからは主体的(?)に業務に関する知識や、周辺知識を自学するようになった。(ごく自然に)
自分の実力(?)とか、今の出せる精いっぱいをぶつける。
だが、ダメなときのダメージはどうだろう。
恥ずかしい、情けない、なぜできなかったか、等々の周囲の目線を気にする可能性がある。
ただ、これは自分自身との闘いだと思うので、周囲のノイズは基本どっちに転んでも気にしないと決めている。
「過程が重要なのだ」という精神的安定剤も用意した。
今まではやらない理由を並べていたが、とにかくしんどくても苦しくてもまぁやってみるかの精神で少し頑張って(?)みようと思う。


